新緑の音

ちょっと手違いでブログを全消ししてしまった…(´;ω;`)

まぁ、心機一転のいい機会。
またぼちぼちやっていこうと思います。

さて、上の写真は菊池渓谷。
まだ写真を初めて2~3年の頃に撮った一枚。

この頃はただ綺麗な所に行き、試行錯誤して綺麗に撮る。
それだけが目的でした。
そしてネットにでもアップしてれば「イイね」と言ってもらえて満足満足。ちゃんちゃん。の流れ。

この流れはネット上に溢れている。
「ほら凄いでしょ?」「ほら綺麗でしょ?」→「すごいね」「綺麗だね」
確かに、美しい景色や、動物の写真はそれだけで感動を覚える事がある。
僕も綺麗な写真は好きだし、撮りたいと思う。
しかし、ネット上の写真たちはそれだけに偏っていて、ものすごい速さで消費されている。

映画でも、歌でも、絵画でも、小説でも評価されているのはただ美しいものではない。
悲しい映画、賛美する歌、悲惨な絵、人々に警告する小説、様々な形がある。人々に伝えるべき事柄がある。
それに比べて特に僕らの写真は薄っぺらい。

美しく撮った写真をネットに貼って
「この写真は誰に向けて何を伝えるために撮ったの?」「その人達に伝えるため、メッセージ性を表現するためにどういう工夫がされているの?」等の質問が来て、答えられる人はほぼいないだろう。僕もそうです。

これではいけないと強く思う。作品と呼ぶには足りなすぎる。

もちろん写真にも色んな使い方がある。
記録、表現、祝祭、啓蒙、報道…数えればキリがない。ただ、今のネットに溢れる写真のほとんどは自慢と自己満足の写真。
そういう使い方が悪いのではなくて、偏っているのが良くない。

と、取り敢えずブログ出直しの所信表明代わりの小言を書いておいて、今後の作品つくりに活かせればいいなと思っています。
この辺のことは書き出したら長文でも収まらないからね。ボチボチ小出しにしていこうと思います。

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